もう1つの御嶽信仰(沖縄の御嶽信仰)

 インターネットで「御嶽」という言葉を検索すると、御嶽山と沖縄の御嶽の両方がヒットする。御嶽山については、すでに他のページで述べてきたので、このページでは、沖縄の御嶽を紹介する。

 沖縄には、アマミキヨとシネリキヨという神が、各地に、聖地である御嶽(うたき)を作り、森を作り、国の形を作ったという神話がある。沖縄の古代の人々は、水平線の彼方には、理想郷があると考えて、その理想郷をニライ・カナイと呼んだ。ニライ・カナイは万物の根源で、子供はニライ・カナイから授かり、人は亡くなるとニライ・カナイへ行くと考えた。

 ニライ・カナイから海を渡ってくる神は、各地の御嶽(うたき)に降臨した。そして、その霊力を受けた者が、「根神(にーがん)」という女性たちであった。この女性達が、火の神を祀り、御嶽信仰(うたきしんこう)の中心的な役割を果たした。

 御嶽(うたき)は、通常、樹木が繁り、こんもりした森になっている聖地である。御嶽(うたき)は、はじめ、小高い丘の上などに作られたものが、次第に平地に下ってきたと考えられている。御嶽(うたき)は、各村の発生に強く結びついていて、古い時代の沖縄の人々は、病苦や天災にあったとき、それぞれの御嶽(うたき)で神に祈り、救済を待った。

 沖縄の人々は、現在でも、祖先を祀る様々な行事、神々への祈願をささげる聖地めぐりなどを続けている。稲穂祭、収穫祭、豊年祭などは、村の人々がそろって、御嶽(うたき)に出向いて行う。また、親族単位で行われる行事として、「東御廻り(あがりうまーい)」と「今帰仁拝み(なちじんうがみ)」に代表される巡拝がある。「東御廻り(あがりうまーい)」は、沖縄本島南部に散在する御嶽(うたき)や古泉、古い水田や住居跡を拝む。「今帰仁拝み(なちじんうがみ)」は、沖縄本島北部の今帰仁村(なきじんそん)にあるグスクや古い墓などを巡って、拝む。 巡拝の対象となっているこれらのグスク及び関連遺産群は、現在、世界遺産に登録されている。また、これらの沖縄の建造物は、「石」の文化であるという特徴がある。

「Wikipedia御嶽(沖縄)」

「琉球王国のグスク及び関連遺産群ー日本の世界遺産」

 そして、沖縄の御嶽のことを考えるとき、いつも、このホームページ管理人の脳裏に浮かぶのは、御嶽神社の石碑2−16である。

石碑2−16正面

石碑2−16正面。2017年12月御嶽神社にて、このホームページ管理人撮影。

追記

 沖縄の海底では、遺跡によく似た地形が、様々なところで発見されている。中でも有名なのが、日本最西端にあたる、与那国島の南端、新川の南150mほどの沖合にある「遺跡ポイント」である。

 「遺跡ポイント」が、自然にできたものか、人工的なものかは、まだ議論のあるところだが、人工的につくられたものであるという痕跡は、いくつか指摘されている。なお、「遺跡ポイント」は、水深から推定すると、1万年ほど前には、陸上にあったことになる。

「数千年より前の大規模な遺跡というのは、今は海底にある。海面変動で沈んでいるからだ。」

奈須紀幸・元東京大学海洋研究所所長の言葉(「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部・編より抜粋。)

与那国島海底遺跡と巨人文明の謎 - YouTube

参考文献

「海に沈んだ超古代文明」クォーク編集部・編 (株)講談社 2002年8月発行