桃花台ニュータウンと篠岡古窯跡群

白山神社から桃花台ニュータウンを眺める

2017年10月このホームページ管理人撮影。白山神社から桃花台ニュータウンを眺める。向こうに見えるのが名古屋駅高層ビル群。

 篠岡古窯跡群は、桃花台ニュータウンと同じではない。大山廃寺跡から西へ徒歩約30分の場所にあり、景行天皇42年(西暦112年)に創建されたと伝えられている白山神社からの眺めは、古代から中世前期の間は、上のような街の眺めではなかった。古代から中世にかけての時代の眺めは、現在の桃花台ニュータウンよりももっと広い地域に、丘陵斜面を掘りくぼめたりくりぬいたりして造られたあな窯が100基以上は存在していたという眺めだ。そして、大山川の南側には、篠岡丘陵の縁辺に沿って、集落遺跡が存在していると考えられる。その根拠は、平成2年度(1990年度)に実施された小牧市内遺跡詳細分布調査で、篠岡丘陵の縁辺に沿って、点々と遺物散布地が発見されているからである。例えば、池ノ内地区では、かなり大きな遺物散布地が発見されている。しかし、発見された遺物散布地については、その発掘調査がされていないため、篠岡丘陵のあな窯で働いていたと考えられる人々の生活実態は、ほとんど解明されていない。

桃花台ニュータウン周辺図

上の図は、「大山廃寺発掘調査報告書(小牧市教育委員会 1979年(昭和54年)3月発行)図版1 大山廃寺周辺地形図」の上にこのホームページ管理人が書き込んだものである。

 平成29年1月1日現在の桃花台ニュータウンの人口は、23,497人、世帯数は9,087世帯である。そして、桃花台ニュータウンに住む人々は、全国各地から集まってきて、このニュータウンに移り住んできた人々である。例えば、桃花台ニュータウンに住むこのホームページ管理人は、岐阜の出身であり、家族は、大阪の出身である。一方、桃花台ニュータウンに隣接している大山、野口、小牧ヶ丘、大草、高根、上末、下末といった地域は、先祖代々からこの土地に住み、農業を経営されている方が多い。そして、古代から中世前期にかけて、この地域に篠岡古窯跡群というものが存在していたという歴史的事実こそが、血縁も地縁も全く違うこの地域の人々が持っている共通した歴史である。

小牧市教育委員会が確認している窯跡の発掘調査状況

上のグラフは、「小牧市遺跡分布地図」(小牧市教育委員会 1991年3月発行)の裏にある一覧表を基にして、このホームページ管理人が作成したグラフである。

 「小牧市遺跡分布地図」(小牧市教育委員会 1991年3月発行)の裏にある一覧表の篠岡古窯跡群の数(すなわち、1991年(平成3年)までの段階で小牧市教育員会が確認した古窯の数)は全部で109ある。そして、確認された109の古窯は、全てが発掘調査されたわけではない。小牧市教育委員会の中嶋氏の話によると、発掘調査というのは、本来、計画的に造成工事の前に行うのが原則であるとのことである。桃花台ニュータウンの発掘も、昭和40年代は、宅地造成をする前に窯跡の分布調査を行い、造成前に、多数の窯跡を発掘していたということである。昭和50年代には、造成前には地下に埋もれていてわからなかった窯跡が、造成工事で明らかになったため、あくまでも緊急対応として、緊急に発掘調査を多数行ったそうである。そして、出土した遺物の種類は、窯跡によって特徴がある。つまり、人間が一人一人個性があるのと同じように、発掘調査された窯跡は、それぞれ様々な特徴を持っている。中嶋氏によると、窯跡ごとに出土した土器の個体数のカウントは、現在のところできていないし、数年のうちにできるということもないだろう、とのことである。

小牧市教育委員会が地域ごとに確認した古窯の数

上のグラフは、「小牧市遺跡分布地図」(小牧市教育委員会 1991年3月発行)の裏にある一覧表を基にして、このホームページ管理人が作成したグラフである。

 ところで、このホームページ管理人の家族が桃花台ニュータウンに家を買って、引っ越してきたのは、2000年(平成12年)のことである。買った当初の家の庭は、植木だけが緑で、あとは、草一つない、土だけがある庭だった。そして、庭は決して平面ではなく、でこぼこした庭であった。そんな庭に池を造ろうということになって、ホームセンターで横94cm、縦70cm、深さ35cmほどの池を買ってきて、庭に埋めようと土を掘ったところ、掘れば掘るほど、大小様々な石がゴロゴロ、その数100個以上出てきた。40cmほど庭を掘った後、池を庭に埋めて、出てきた石を池の周りに飾り、残った石は、捨てることもできず、大きな観葉植物が入っていたプランターに入れて庭の片隅に置いた。池の形がクレヨンしんちゃんの顔の形に似ていたことから、子供たちは、その池を「しんちゃん池」と名付けて、金魚を飼い始めた。金魚は、「エリザベス」と名付けられたが、猫がとって行ったのか、まもなくいなくなって、エリザベス二世、三世と続いた。

 そして、17年の歳月がたち、子供たちは家からいなくなった。このホームページ管理人は、17年ぶりに大きなプランターに入っていた大小さまざまな石を庭の縁側に並べてみた。プランターの中に入っていた石の数は全部で121個だった。それを石の種類別に分けてみると、4種類に分類される。まず1種類めは、大きめの石で、大きさはどの石も横17cm、縦7〜9cmほどの大きさで、24個ほどある。2種類目は、小さな石で、形はどの石も丸みを帯びていて、50個ほどある。3種類目は、角ばった形の石で、人が削ったのか、自然に削れたのかはわからないが、30個ほどある。4種類目は、何かが溶けてできたような石で、形が普通の石の形ではなく、17個ほどあった。それらの石を2017年11月にこのホームページ管理人が撮影した。そして、このホームページ管理人が厳選した6枚の石の写真が次のものだ。ちなみに、このホームページ管理人の家から一番近い古窯跡は、篠岡111号窯だ。

庭から出た大きめの石A

庭から出た大きめの石B

庭から出た溶けたような石A

庭から出た溶けたような石群

庭から出た溶けたような石B

庭から出た溶けたような石C

2017年11月このホームページ管理人撮影。縁側の板の幅は13.5cm、溝の幅は1cm。