9.東部市民センター図書室にて

 平成15年度の光祭文化部門が終わって、しばらくは、篠岡古窯跡群の勉強はしたくなかったので、自分の好きな古代文明の本やシルクロードの本などを読み漁っていた。東部市民センターの図書室で、まさに、手当たり次第に本を借りまくって、どんな本を読んだのか、ノートに書き留めることもなく、自分の知識欲に任せて、次から次へと読んでいった。

 その中で、私の記憶の中に残った本が、「神々の世界 上・下」(グレハム・ハンコック著 大地舜訳 小学館発行 2002年10月)である。この本は、世界各地の海の中に沈んでいる石造物遺跡に関する1つの考察を述べたもので、世界神話と絡み合って、とても壮大なロマンあふれる内容の本だった。この本をきっかけにして、「石造物信仰」に関する本を読み漁ったのだが、その中に、誰が書いてどこから出版されたのか忘れたが、「御嶽信仰」に関する薄いレポートのような本があった。本の中身は、「御嶽信仰は、石造物信仰である。」といった内容のものだった。この本の中にある「御嶽信仰」は、江戸時代に、愛知県春日井市出身の覚明という人が、御嶽山登山を取り入れた石造物信仰を世の中に普及させたことに始まる信仰である。この本を読んで、初めて、私は、私の家から目と鼻の先にある「御嶽神社」の由来を知った。

 「御嶽信仰」に関する興味深い事実のもう1つに、インターネットで、「御嶽信仰」という言葉を検索すると、2つの「御嶽信仰」があることがあげられる。1つは、御嶽山登山を信仰の1つとする石造物信仰で、私の家の近くにある「御嶽神社」とつながっている御嶽(おんたけ、または、みたけと読む)信仰である。そして、もう1つは、沖縄の世界遺産である「斎場御嶽」などに見られる、海の向こうに先祖がいるとする信仰で、石造物建築などを特徴とする。沖縄の「御嶽(「うたき」と読む)信仰」は、与那国島の海底遺跡と繋がっているとする説を唱える学者もいる。与那国島の海底遺跡と言えば、「神々の世界」で、グレハム・ハンコックが取り上げていた遺跡だ。

 このような訳で、私の頭の中では、なぜか、家の近くの御嶽神社と与那国島海底遺跡が繋がってしまった。それからは、この2つの御嶽信仰のことを調べる日々か続いたが、調べれば、調べるほど、この2つの御嶽信仰の間には、「石」「先祖」と言う言葉以外には、何の接点もないのであった。しかし、2つの「御嶽信仰」を知ってから、楽しみが増えた。これが、歴史を学ぶことの醍醐味なのである。

 「桃花台ニュータウン」と言えば、「人工的に造られた街」「夜景がきれい」というイメージがあるが、「篠岡古窯跡群」「御嶽神社」の他にも、光ヶ丘中学校区には、国の史跡である「大山廃寺」や、名もない古墳が存在している。来年度の地域ふれあいフェスティバルは、篠岡古窯跡群に加えて、御嶽神社の展示をすることに決めて、平成16年度の郷土史展示の計画案をまとめ終えたのは、平成16年の4月くらいだった。