8.平成15年度光祭文化部門が終了して

 平成15年度光祭文化部門を振り返ってみると、一日目の合唱祭は、計画通りにスムーズに運んだが、二日目の地域ふれあいフェスティバルは、とてもばたばたしていたようだ。この違いは、運営する組織の違いだと思う。合唱祭が理路整然と行われたのは、光祭体育部門と同じことで、学校が、授業の一環として、組織をあげて対応したからだ。これに比べると、地域ふれあいフェスティバルの方は、PTA主催ということで、かなり混沌としていた。

 一日目の合唱祭の時は、郷土史展示を訪れる人の層は、同じだった。光ヶ丘中学校生とその保護者と教員である。二日目の地域ふれあいフェスティバルの時は、郷土史展示に訪れる人の層は、一般市民だった。郷土史展示を見に来た人の反応が大きかったのは、一日目の合唱祭のときだった。中学生は、大人と違って、反応がすぐに表面に出る。実は、この時の郷土史展示で、展示した小牧市内遺跡分布地図とその一覧表の数字が、一致していなかった。一覧表とは、文化振興課からいただいた小牧市内遺跡分布地図の裏に載っている一覧表で、地図に載っている遺跡の数字と一覧表の遺跡の数字は、地図では一致している。しかし、この一覧表の中の篠岡古窯跡群の部分だけを切り取ってもらって、文化振興課から送信していただき、文化振興課から送信していただいた表を中学校で見やすいように加工して、A3に印刷し、ラミネーターでフィルムをかけたどこかの段階で、一覧表の数字がずれて、地図と合わなくなってしまった。このことに気が付いたのは、郷土史展示をする合唱祭の日の朝のことで、私は、展示するかどうか迷ったが、そのまま展示した。すると、やはり、間違いを指摘されたのが、一日目の合唱祭で展示を見に訪れた人からだった。二日目の地域ふれあいフェスティバルでこの間違いを指摘した人はいなかった。また、「こういうことを桃ヶ丘でもやってほしい。」と言う人がいたのも一日目の合唱祭のときだった。椅子に座ってじっくり展示図書を読んでいかれる方がいるのも一日目だった。私が展示作業をしている段階から何度ものぞきにみえた人がいたのも一日目だった。

 二日目の地域ふれあいフェスティバルの時は、郷土史展示に訪れる人の層は、一般市民だった。一日目の合唱祭の時には、中学の制服など落ち着いた感じの服を着た人ばかりだったので、二日目の地域ふれあいフェスティバルで、黄色い髪に編みタイツにミニスカートの女の子が展示を熱心に見ていくのをみると、すごく新鮮だった。二日目の地域ふれあいフェスティバルの時は、落ち着いて展示を見ていかれる方は少なかった。私に話し掛けてくる人もいなかったので、「沈黙の声」を拾うのは、大変だった。しかし、郷土史展示を続けていかなければならないという信念を持ったのも、このときだ。これは、決して上から押し付けられたものではなく、誰から頼まれた訳でもなく、その場にいた自分が判断したことだ。

 アンケートを書いて箱の中に入れてくれた方は、2人だった。1人は中学生で、もう1人は保護者のようだった。中学生の方は、この郷土史展示を見て、初めて篠岡古窯跡群のことを知ったらしいが、来年度は今回とは違う企画を希望していた。保護者の方は、篠岡古窯跡群のことは知っていて、一覧表の間違いを指摘していた。学校の方にはアンケートの印刷を100枚もお願いして、2枚しか回収できなかったので、とても申し訳ない事をしたと思った。教頭先生からは、アンケートは回収できないと思うと言われていた。

 2日目の地域ふれあいフェスティバルが終わって、教頭先生も教職員の方々も片付けに大忙しだった。私は、展示パネルの画鋲をすべてはずして、画鋲は職員室に返却し、社会科教材パネルは、光ヶ丘中学の教材室に返却し、展示図書のうちで、光ヶ丘中学校図書室から借りたものは、中学校の図書室に返却した。ラミネーターでフィルムを貼った展示パネルは全て、一旦、私の家に持ち帰った。

 その後、展示パネル(「7.平成15年度郷土史展示の概要」参照)をどうするかは、光祭文化部門が終わってから、12月くらいに光ヶ丘中学校の教頭先生と話し合った。中学校の方は、教頭先生のパソコンの中に展示パネルに使用した写真が入っているので、展示パネルは、私が保管することになった。私は、光ヶ丘中学校の教材室で、ばらばらになっていた社会科教材パネルを番号順に並べ直した時、社会科教材パネルの連番が所々歯抜けになっているのを見ているので、学校の中が、物の保管にとって、決して安全な場所ではないことをわかっていた。学校にとって、物の管理や保管というのは、最も苦手とするところなのだと思う。子供の安全や教育といった問題が、中学校ではもっとも重要なテーマであり、物の保管や管理は、その次くらいにしか考えられていないのではないかと思うくらい、中学校は、物の保管には向いていないところだ。校長室ですら、お金を置いておいたら危ないのではないかと思うくらいだ。これは、私の持論だが、せめて、校長室くらいは、人のいない時は、施錠した方がいいと思う。もし、校長室が、金庫室のような管理をされていれば、これらの展示パネルは、私が保管しなくてもよかったのだと思う。

 展示パネルの保管を私がすることに決まった時、教頭先生は、「もし、他から、展示の依頼があったら、受けてあげてください。」とおっしゃった。私も、これらの展示パネルの保管を任されたからには、社会的責任は果たそうと思った。しかし、光祭文化部門の2日間、郷土史展示を行って、その翌日くらいに、私は、中耳炎にかかってしまい、郷土史展示が見た目よりもハードな仕事であったと実感した。