6.平成15年度光祭文化部門にて

2003光中文化祭郷土史展示

平成15年(2003年)11月小牧市立光ヶ丘中学校撮影。

 このページでは、平成15年度光祭文化部門の大まかな流れを説明していきたい。郷土史展示の詳細(展示略図、使用したもの、展示パネルの貼り方、展示図書など)は、「7.平成15年度光祭文化部門郷土史展示の概要」で記述する。郷土史展示で私が考えたことなどは、「8.平成15年度光祭文化部門が終了して」で記述する。

 平成15年度光祭文化部門は、11月1日(土)・2日(日)の両日開催された。11月1日は生徒の合唱祭が行われた。11月2日は、午前中は、ボランティアによる中学生の講座が開かれ、午後からは、地域ふれあいフェスティバルというイベントが開催された。中学生の講座は、日本舞踊やお茶、手芸・工芸などいろいろあった。たくさんのボランティアが講座の開設を希望するらしいが、中学生が集まらない講座は行われないという、ボランティアにとっては、とてもシビアな企画であると聞いた。地域ふれあいフェスティバルは、お店が出たり、ライブや演劇、ドミノなどが行われたりと、光ヶ丘中学校や光ヶ丘小学校の敷地の中で開催されるお祭だ。その中で、私が担当する郷土史展示は、11月1・2日の両日、光ヶ丘中学校の1階渡り廊下で行った。

 こちらから文化振興課にお願いした、篠岡古窯跡群の出土遺物と発掘調査当時の写真と篠岡古窯跡群遺跡地図が光ヶ丘中学校に送信されてきたのは、光祭文化部門が開催される3日前だった。ちょうど仕事が休みの日だったので、光ヶ丘中学校の職員室に行ってみると、教頭先生が、「これ、今日送られてきた。」と言って、すでにA4に印刷され、ラミネーターでフィルムにかけられた出土遺物と発掘調査当時の写真を見せてくれた。篠岡古窯跡群遺跡地図はA3に印刷され、ラミネーターでフィルムにかけられていた。

 文化振興課が篠岡古窯跡群のどこの古窯の写真を送信してくるのか、その時までわからなかったため、古窯の現在地の写真を撮影するのは、これからやらなければいけないことだった。文化振興課から送信されてきた篠岡古窯跡群遺跡地図を見て、現在の住宅地図と照らし合わせ、古窯のポイントを住宅地図に鉛筆で印をつけて、住宅地図とデジタルカメラを持って、車でポイントをまわって撮影した。しかし、このときはまだ、篠岡112号窯の現在地だけがどうしても把握できず、現在地付近ということで、撮影を行った。112号窯の現在地と思われる場所がわかったのは、この時の文化祭の2年後、このHPを作成している時に、もう一度112号窯の現在地付近を訪れて、地元の人に教えていただけた時である。

 平成15年度光祭文化部門の前日の文化祭準備の日は、仕事で学校には来られないので、郷土史展示に使う展示ボードや机などを渡り廊下に運ぶのは、光ヶ丘中学校の生徒の皆様に、教頭先生を通じてお願いした。私が撮影した古窯の現在地の写真にラミネーターフィルムをはるのは、文化祭前日、仕事から帰ってきてから学校に行って、午後6時頃から7時頃までの間にできるだけすませるようにした。残った分は、11月1日の朝早く学校に来てやることにした。教頭先生がラミネートフィルム貼りを前日に少し手伝ってくれた。

 11月1日は、朝8時過ぎくらいに光ヶ丘中学校の職員室に行き、先生方の朝礼の中で、もくもくと、ラミネーターでフィルム貼りをした。朝礼の途中、どうしても気になったので、「はい、光ヶ丘中学校です。」と言って、電話を1本取った覚えがある。郷土史展示に使用するものには、写真だけでなく、説明板や篠岡古窯跡群一覧表など、全ての紙に対して、ラミネートフィルムを貼った。郷土史展示に使用する紙で、ラミネートフィルムに貼らなかったのは、文化振興課でいただいた小牧市内遺跡分布地図(小牧市教育委員会 1991年3月発行)だけだった。(大きすぎてラミネートフィルムに貼れなかった。)

 展示物のラミネートフィルム貼りが全て終わったら、渡り廊下での展示作業に取り掛かった。展示パネルを当初の計画どおりに展示ボードに画鋲で一枚ずつ貼り付けていく。足りない机や椅子も、教頭先生に手伝っていただいて、運んだ。展示作業をしている間に、光祭文化部門の合唱祭は、どんどん進行していく。保護者の方々や生徒の皆様が渡り廊下を通っていかれるので、展示作業の中断はしばしばあった。前日の準備の日に会社を休んで、展示の準備に来ればよかったのにとつくづく思った。保護者の方々には、先生と間違われて、いろいろなことを聞かれた。そのたびに、わからないことは「わかりません。」とはっきりお答えした。

 展示作業が終了したのは、昼の11時近くだった。それから、昼食を取りに、一旦、自宅へ帰った。その後、再び、光ヶ丘中学校の渡り廊下に戻り、今度は、展示の監視をするために、生徒や保護者の方々がいなくなるまで、渡り廊下に置いた机と椅子に座っていた。生徒の皆様や保護者の方々がいなくなり、先生方が渡り廊下を通らなくなるまで渡り廊下にいた理由は、展示の監視のためだけではない。この渡り廊下を通っていく人々が、どのように郷土史展示に関心を示すのか、その雰囲気をつかみたかったためだ。従って、私が渡り廊下に座っている間は、観察することがたくさんあり、苦痛どころか、時間はすぐに過ぎた。

 一日目の光祭文化部門の合唱祭が終わってから、教頭先生がいらっしゃって、「展示の図書だけ家に持って帰ってもらって、あとは展示ボードに貼り付けたままでいいです。また明日来てください。」と言われた。しかし、このときはまだ、人がひっきりなしに渡り廊下を通るので、私は、展示図書をひきあげるのは、少し待った。先生や生徒の皆様が誰も渡り廊下を通らなくなってから、展示図書を片付けて、家に帰った。一人でも多くの人にこの展示を見てもらいたいという思いがあった。

 二日目の地域ふれあいフェスティバルは、朝9時くらいに渡り廊下についた。そして、家に持って帰った展示図書を再び並べて、昨日と同じように、渡り廊下に座った。二日目が一日目と違う点は、昼食のおすしとお茶がPTAから支給されたことと、渡り廊下の隣の中庭でライブが開かれていたため、結構うるさかったことだ。しかし、郷土史展示の行われている渡り廊下が、ライブに出演する人達の楽屋裏になっていたため、たくさんの人に郷土史展示を見ていただけた。私は、ライブに出演した様々な人達の人間模様がわかって、結構、楽しかった。3時くらいになると、地域ふれあいフェスティバルの片づけが始まった。教頭先生に聞いたところ、展示パネルは全て画鋲をはずして、展示図書とともに一旦家にもって帰り、展示ボードや机などは渡り廊下の端に寄せて置いてください、とのことだった。展示ボードや机などを元の場所にもどす作業は、後日、生徒の方々にやっていただけるということで、教頭先生に御礼を言って、家に帰った。

 このページの一番上に掲載されている写真は、平成15年度郷土史展示の様子を撮った写真で、小牧市立光ヶ丘中学校にあったものを送信していただいた。私は、平成15年度・16年度の郷土史展示の時、自分の展示の様子を写真に撮っておくことを忘れていたので、このHP作成のために、小牧市立光ヶ丘中学校にお願いして、写真を送っていただいた。このような活動を行う時には、後からの反省も考えて準備しないと、後から苦労するとつくづく思った。